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2016.07.15 更新
都会の生活を離れ、島暮らしをはじめて9年。
海士町で見つけた本質的な人生の豊かさとは?
島根県の隠岐諸島にある海士町に移住された阿部さんは、島で会社を立ち上げ、今や海士町の発展を支える一人として活動されています。
阿部さんはこの島でどんな風に人と関わり、ご自身が望む人生を実現されてきたのでしょうか。自分らしく生きるということ。新しい居場所をつくるということ。「豊かさ」のヒントを求めて、海士町に行ってきました。全6回にわたってお届けします。
代表取締役
阿部 裕志(あべ ひろし)
巡の環の阿部さんにお会いするために訪れたのは、島根県隠岐郡海士町。海のサムライと書いて「あまちょう」と呼ぶこの町がどのようなところにあるかご存知でしょうか。
大阪からなら飛行機で出雲空港へ飛び、隠岐の島町行きの飛行機を乗り継いでそこからさらにフェリーで1時間と少し。
移動に半日をかけてようやく海士町にたどり着きました。
隠岐諸島には大小さまざまな180以上もの島があり、海士町はその中でも3番目に大きな島。
とはいえ、周囲は89km程度なので、2時間もあればクルマで一周できるほどです。
人口は約2,400人。日本の地方部のいずれもが抱える少子高齢化や人口減という問題に挑戦しつづけ、今や若年層のUターン・Iターン移住者が集まる島として多方面から注目を集めています。
巡の環の阿部さんも、2008年に名古屋からここに移住してきたひとり。
華やかなキャリアから離れてどうしてこんなに遠くの島に住むことになったのだろう。
この島での生活を、人生をどんな風に捉えているのだろう。
たくさんの"聞きたいこと"を思い描きながら、海士町へ降り立ちました。
「はじめまして。どうぞよろしくお願いします」という挨拶の後、まずは阿部さんと巡の環スタッフの大野さんと共にキンニャモニャセンターという港に隣接した施設の一角へ移動することに。
センター内を歩いていたら、次々とすれちがう人に「あ、あれからどう?」と声をかけていく阿部さん。
買い物中のおばさん、漁師風のおじさん、観光協会スタッフの女性、さらには友人関係であり人生のライバルであるらしい陶芸家さんetc...。
立ち止まっては少し話し込み、笑顔でわかれてまた次の人と話し込むその姿に、阿部さんがこの町になくてはならない人であることが伝わってきました。
まだ出会ってわずかな時間しか経っていないというのに。
屋外にテーブルと椅子が置かれた、海風がそよぐ気持ちの良い場所に案内され、私たちはひとまず段取りの打合せへ。
話し合いの後、まずは阿部さんの取材場所として巡の環のオフィスへ移動することに。
「ちょっと変わってるんですよ、うちの事務所」と阿部さんに言われ、大野さんのクルマで連れていってもらうとそこには私たちの想像を超えたまさかのオフィスが!
絶句している取材班に対し、「ええ、ここに巡の環の事務所があるんです」とスタッフの大野さん。
この歴史を漂わせる家屋は海士町を代表する観光地のひとつ、村上家資料館。
村上家とは、隠岐に配流された後鳥羽上皇の世話をしたという由緒をもつといわれている隠岐を代表する旧家のひとつで、2014年に資料館として開館。
巡の環はこの資料館の管理を任されながら、敷地の一角をオフィスとして使わせてもらっているそうです。
海士町のハーブティである華やかな香りのふくぎ茶をいただきながら窓の外に目をやると美しい新緑が庭一面に。
そよぐ風に乗って緑の匂いがただよい、絶え間なく鳥のさえずりが響き渡り、このわずか一角にどれほどの豊かさが詰まっているのかと思い知らされます。
「じゃあここでお話ししましょうか」と縁側に腰をおろしました。