2023.01.18 更新

愛車と走り抜けた少年時代。
世界を広げてくれた思い出が、
自転車活用推進という活動の原動力。

環境への負担軽減や国民の健康増進を目的として2017年に施行された『自転車活用推進法』。なぜ国として自転車を推進する法律ができたのか?どのような法律なのか?よく知らない方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、『自転車活用推進法』のもとになる提言の起草者である、NPO法人自転車活用推進研究会理事長の小林成基さんにお話を伺いました。小林さんと自転車との出合いから、法整備へと至った思いや現在までの経緯をじっくりとお聞きします。

profile
profileNPO法人自転車活用推進研究会 理事長
小林 成基さん

1949年生まれ、奈良県出身。駒沢大学文学部英米文学科卒業。コピーライター、雑誌編集者、通販会社取締役などを経て衆議院議員公設秘書、政策担当秘書、大臣秘書官として国会で20年間立法活動。退職後、(財)社会経済生産性本部エネルギー環境政策部主任研究員として廃棄物、バイオマス、環境行政に関わる一方で、アクト・ローカリーの一典型としての自転車活用を提唱、自転車活用推進研究会を創設。独立後、2006年7月、研究会をNPO法人化。現在は理事長として、国交省、警察庁、自治体の自転車関係会議委員を務める。著書に化学工業日報社『2050年戦略Ⅱ 進まない日本のイノベーションー危機的状況からの脱却』(共著)など多数。

前編の「小林さん」

  1. 愛車「太郎」との出合い
  2. 若さと自由な心で旅から旅へ
  3. 「自転車が世界を救う」その意味を探して

みなさんの身近で、この頃自転車専用レーンが増えてきた、シェアサイクルをよく見かけるようになった...、と感じることはありませんか?この自転車活用の流れは、2017年に『自転車活用推進法』が施行されたことをきっかけに、各自治体が自転車活用を推し進めているのです。この法律の基となったのがNPO法人自転車活用推進研究会(以下 自活研)であり、研究会を立ち上げたのは、政治家の政策秘書として活動していた小林成基さん。なぜ自転車の法律を?なぜ研究会?いろいろな疑問が浮かぶ中、まずは小林さんと自転車の出合いから伺いました。

Cyclingood
自転車の法整備・環境整備に携わる小林さんですが、自転車に特別な思い入れがあったのですか?
小林さん
私と自転車との出合いは、5歳にさかのぼります。医者をしていた父が、どこからか子ども用の自転車を手に入れて私に与えてくれたのです。子ども用の自転車など見たこともない昭和30年頃のことで、父は自転車に乗る練習をしてくれました。
Cyclingood
お父様との思い出の1ページですね。
小林さん
まあ練習と言っても、私を自転車に乗せて、下り坂を見つけては支えていた手を離すという大胆な方法でしたね。ブレーキをかけられず、突き当りの藪に突っ込んだ記憶があります(笑)。怖さと同時に、スリリングな面白さを感じました。スパルタな練習のおかげですぐに乗り方を覚え、それから10代のうちはいつも自転車を乗り回して遊んでいました。
Cyclingood
幼少期から自転車に親しまれていたのですね。特に思い出深いことはありますか?
小林さん
子ども用の自転車を卒業して、中学生の頃に近所の自転車屋さんが当時では珍しいドロップハンドルの自転車を作ってくれました。その自転車に"太郎"と名前をつけてどこへでも行きました。高校へも片道2時間、帰りは寄り道するから3時間かけて自転車通学。夏休みには太郎に乗ってふらりと出かけて、自宅のある名古屋から奈良、大阪、勢い余って九州まで旅をしたこともあります。
Cyclingood
ふらりと出かけて、名古屋から九州へ?
小林さん
若さと、自転車があればどこへでも行けるという自由な心がそうさせたのでしょう。お金がないので野宿でしたが、盗まれまいと太郎を抱えて眠ったものです。あのときのひんやりしたフレームの感触を、いまでもよく覚えています。

Cyclingood
名前をつけて旅をともにして、太郎は小林さんの相棒だったのですね。その後現在まで、小林さんの傍らにはいつも自転車があったのですか?
小林さん
それが、大学時代に離れてしまったのです。進学先が北海道にキャンパスをもっている大学で、学生生活の大半を北海道で過ごしました。もちろん太郎と一緒に北海道中を走ったのですが、東京のキャンパスに移る際に後輩に譲ってしまいまして。それと同時に就職して忙しくなって、自転車に乗る機会がパタッとなくなりました。太郎以外の自転車に乗る気も起こらず、仕事をあれこれと移りながら結婚して子どもができて、10年は自転車から遠ざかっていました。
Cyclingood
10年途切れた自転車との縁が、なぜ再びつながったのですか?
小林さん
国会議員になった知人をサポートするために、国会の中で働くようになったことがきっかけです。2週間の電話番の予定が、いつの間にか政策秘書として環境問題に携わるようになり、公害問題や温暖化などの解決をめざしてさまざまな国際会議に参加しました。その中で、1991年の国際会議に出席した海外の団体が、私にある冊子を見せてくれたのです。表紙には「自転車が世界を救う」と書かれていました。
Cyclingood
自転車が世界を救う。どのような内容の冊子なのでしょう。
小林さん
環境活動団体の機関誌で、「いつか世界中がクルマに乗るようになれば、排気ガスなどによって環境問題がより一層深刻化する。解決のカギを握るのは環境負荷の少ない自転車だ」と論じていました。
Cyclingood
そこで、自転車に可能性を感じたのですか?
小林さん
それまでの私は、技術革新が進み電気自動車が開発される時代に、自転車は絶滅危惧種的な存在だと感じていました。自転車はもはや、嗜好品として楽しむものになる、これから新たなモビリティがどんどん生まれるはずだと。ですから「自転車が世界を救う」という言葉を目にしたとき、その意味をすぐには理解できませんでしたが、環境活動の中で徐々に認識が変化していったのです。
Cyclingood
自転車が世界を救うとはどういう意味か、問い続けていたのですか?
小林さん
そうですね。日本で公害問題が深刻化していた時期だったため、環境への負荷が少ないという点では確かに価値があると感じられました。そして4年後の1995年、阪神淡路大震災の際には、クルマが通れない瓦礫の道を自転車がいち早く走って支援に向かう姿を目にしました。こうした経験から、時間をかけて「環境問題から世界を救うのは、自転車かもしれない」と感じるようになっていきました。

自転車が世界を救う。
その言葉の意味を実感しはじめた小林さんは、政策秘書という自身の役割を生かして政治の現場から行動を起こします。
自活研発足と法整備、2つの大仕事については後編で!

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