2018.03.16 更新

車椅子よりも遠くに行ける。
病を克服し、札幌に自転車の魅力を広げる活動へ。

いまから25年ほど前、結婚を機に北海道札幌市に移住された太田さん。
起業家支援の仕事に携わる中で、起業家にふさわしいスマートな体型をという動機から自転車に乗りはじめ、半年間で10kgのダイエットに成功。さらに先天性股関節症の手術後、医師の許可を得て自転車に乗り続けた結果、医師が驚くほど回復されたそうです。
「あの頃の私にとって、自転車は遠くに連れていってくれる車椅子以上の存在だった」と語る太田さんが、その後なぜ自ら自転車に関わる活動に取り組まれたのか、その思いを話していただきました。

profile
profileSAPPORO BIKE PROJECT合同会社 代表
太田 明子さん

大阪市生まれ。兵庫県、愛知県、アラスカ州と移り住み、1993年北海道へ移住。1994年から移住支援のNPO法人私設北海道開拓使の会事務局長、2000年からITベンチャー支援インキュベーションカフェ札幌BizCafe(現NPO法人サッポロビスカフェ)事務局長を経て2002年独立。その後、北海道内各自治体や企業でセミナーの企画や講師、企業コンサルティングなどを務める。実業ではオリジナル自転車の販売や都市型サイクルツーリズムを実践するSAPPORO BIKE PROJECT合同会社の代表を務める。

前編の「太田さん」

  1. "シュっ"となりたいというそもそもの動機
  2. 「かっこいい」と言われる喜び
  3. 病の苦しみから開放された瞬間

札幌在住の太田さんが、オリジナルの自転車である「SAPPORO BIKE」を企画・開発・販売され、自転車を活用した都市型ツーリズムの実践にも精力的に活動されているらしい。そんなウワサを聞きつけ、まだ雪の残る極寒の2月某日、Cyclingood取材班は札幌に向かいました。
北海道は雪が積もっている間は自転車に乗ることができない、というのが一般的なイメージでしたが「私は冬でもスパイクタイヤに変えて自転車通勤しています。まあそういう人は少ないですけどね」と笑う太田さん。実はもともとは運動嫌いのインドア派だったそうです。 太田さんの人生に、いまではすっかり欠かせない存在となった自転車。その出会いとこれまでの経緯、今後の展望についてお聞きしていきます。

Cyclingood
運動嫌いだった太田さんが、自転車に乗ることになった最初のきっかけは何だったのでしょう?
太田さん
北海道に移住して、NPOとして起業家支援の仕事に就きました。2002年に独立をしたとき、周囲を見ると女性起業家のイメージってスタイルが良く、スマートで"シュっ"としている印象だったのです。「私もシュっとしなければ」と思っていたところ、夫が好きなツール・ド・フランスを見ていたら選手の皆さんが"シュっ"としている。自転車でこのようなスタイルになれるのか、と興味がわき、自転車を購入しました。手軽な価格のクロスバイクでした。
Cyclingood
それからどのように自転車を使われるようになったのですか?
太田さん
夫もクロスバイクを購入して、休日にふたりでサイクリングに出かけることが増えました。とはいえスピードにこだわらない自称「ロングポタラー」です。ラーメンを食べに行ったり、直売所に野菜や果物を買いにいったりと、乗ることそのものを目的にしないゆるいサイクリングを楽しんでいました。
Cyclingood
そのような乗り方なのに、半年で10kgも痩せられたんですか?!
太田さん
たとえば、札幌から小樽までなら往復80kmほど。いつもそのくらいの距離を走っていたので、みるみる脂肪が落ちました。いまは少し体重が戻ってしまいましたが、筋肉がついて腹筋も割れて、思った以上にダイエット効果がありましたね。でも、痩せること以上にうれしいことがあったのです。
Cyclingood
それは何でしょう?

太田さん
夫とふたりで走っていると、道行く人が手を振って応援してくれるんです。幼稚園児ならまず100%の確率で、それがとてもうれしくて。おばあさんが近付いてきて「かっこいいねえ」と声をかけられることもよくありました。私はこの「かっこいい」ってとても大事なキーワードだと思っています。「かっこいい」と言われるからもっと走ろうと思えるし、好きなものを食べても太らない身体になれるという好循環を生み出していると思います。まさにいいこと尽くしですね。
Cyclingood
ところがその後、ご病気で手術を受けることになられるんですね?
太田さん
はい、そうです。私は股関節が先天的に短く、筋肉が衰えてくると軟骨がすり減ってくる「変形股関節症」で、年を重ねるにつれて痛みが増し、歩くことが不自由になっていきました。2010年から2013年にかけて両足を手術し、杖が欠かせない生活になったのです。でも、自転車なら乗っても大丈夫だと医師に言われ、折りたたみの杖を自転車に括りつけて出かけるようになりました。
Cyclingood
歩くときに杖が必要でも、自転車に乗ることは問題なかったのですか?
太田さん
歩くよりも負荷がなく、乗ることに痛みもなく、自転車は私を自由にしてくれる車椅子以上の存在になりました。退院後に初めて自転車に乗ったときのことをいまでも鮮明に覚えています。ペダルをこいで、前へ前へと進んでいるときに、ふわりと風を受けたあのときの幸せな気持ち。「ああ、私生きてる!」という実感で胸がいっぱいになりました。
Cyclingood
とてもいいお話ですね。
太田さん
ずっとベッドに寝たきりの窮屈でツラい入院生活でした。手術を受けるたびに麻酔のリスクを聞かされ、死を意識することが何度もありました。不安や悲しみ、痛み、そんなものから何もかも解放された瞬間でした。この病気は手術後も寝付いてしまって引きこもりがちになり、社会との接触を失っていくケースが多いそうです。私ももしかするとそのような状況になって生きる意欲を失っていたかもしれない。そう考えると、どこにでも行ける自由を与えてくれた自転車には感謝しかないです。

Cyclingood
外出できる自由を得ただけでなく、その後症状が改善されたそうですね。
太田さん
ええ!そうなんです。退院後はムリをしない程度に少しずつ走行距離を伸ばし、退院4カ月後には沖縄旅行をして、自転車で沖縄本島を半周走り抜きました。車椅子なら1km程度しか移動できないと思いますが、自転車なら100kmだって走れます。その後不思議と股関節の軟骨が増えて、私の快方ぶりにお医者さまも驚かれていました。
Cyclingood
それは先生もビックリですね。それだけパワフルに行動される太田さんにも驚かれたのでは。
太田さん
かもしれませんね。でもこの病気が発症するのはアジア人に多く、特に40歳を超えた女性に多いそうです。筋肉が衰えて軟骨が減りはじめ、股関節が短いことが発覚するようです。私はこんなツラい思いをする人をこれ以上増やしたくない、この経験をした私だからできることがあるはずだと考えるようになり、退院後は自転車に関わる企画を自発的に考えるようになりました。

現在の朗らかで快活な様子からは考えられないほど、病による苦しい時期があった太田さん。
そんな暗闇に希望の光を見出すきっかけになったのが、他でもない自転車でした。
このご経験が、自ら自転車の企画・開発・販売に携わることにつながっていきます。
その気になるお話は、後編にて!

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