2024.02.21 更新

MTBもBMXも、好きだから両方やる。
コースがないなら、自分で作る。
純粋な動機から、気づけば型破りな現在地に。

山梨県北杜市の山中に2013年にオープンした自転車フィールド「YBP(Yuta's Bike Park)」。当時日本で唯一、世界レベルの8メートルスタートヒルを有するコースをたった一人で作り上げたのが、プロレースライダー栗瀬裕太さんです。日本では珍しいMTB(マウンテンバイク)とBMX(バイシクルモトクロス)両方のプロ選手であり、10代の頃からマルチなスターとして知られる栗瀬さんがコース作りをはじめた経緯や、長年親しまれてきた自転車への想いをたっぷりとお聞きしました。

profile
profileYBP代表 栗瀬 裕太さん

1982年生まれ、大阪府出身。MTB(マウンテンバイク)ではダウンヒル、4クロス、ダートジャンプ、BMX(バイシクルモトクロス)ではレースとダートジャンプと多種目を乗りこなすプロレースライダーであり、フリースタイルライダー。13歳でプロ入りし、MTB・BMX合わせて4種目でそれぞれ大会優勝経験をもつ。海外でのレース経験や国内でのコース造成の経験を生かし、2013年に山梨県北杜市に世界レベルの自転車フィールド「Yuta's Bike Park」をオープンさせた。

前編の「栗瀬さん」

  1. MTBとBMX。魅力が違うから、両方やってみる
  2. 天才キッズにはほど遠かった子ども時代
  3. 両競技の相乗効果。13歳でプロの世界へ
  4. 世界との差を痛感し、コース作りに着手

栗瀬さんとCyclingood取材班がコンタクトをとったのは11月。YBPに伺って取材や撮影ができればと考えていたのですが、ちょうど連絡直前に冬季休業期間に入ってしまったとのこと。さてどうしようかと悩んでいると、栗瀬さんから「実は堺市内で冬季もオープンしている無料開放のコースが、僕とBMXの出合いの場なんですよ」とのお話が。
大阪府出身の栗瀬さんは、堺市・大泉緑地の「サイクルどろんこ広場」で初めてBMXにめざめたそうです。そこで今回は、栗瀬さんが大阪に帰ってこられるタイミングで、この思い出の地に行ってみることになりました。12月中旬、山梨からクルマで移動してきたという栗瀬さんと、まずは近くのカフェでご挨拶。

Cyclingood
本日はお越しいただいてありがとうございます。
栗瀬さん
いえいえ、僕も「サイクルどろんこ広場」に行くのは久しぶりなので、楽しみです。
Cyclingood
栗瀬さんはそのコースで自転車競技にハマッたわけですが、そもそも自転車に乗りはじめたきっかけを伺えますか?
栗瀬さん
父の影響ですね。多趣味な人で、モトクロスやスケートボード、いろんな遊びを楽しんで、仲間もたくさんいました。その中で、小学生の僕も一緒に遊べたのがMTBでした。
Cyclingood
最初はMTBだったのですね。競技ではなく、親子の趣味として?
栗瀬さん
はじめは山道を走ったり、段差を見つけては自転車で降りてみたりと、自己流で楽しんでいました。そのうち習ってみたくなって、父が見つけてくれたのが「サイクルどろんこ広場」のBMXコースを活用して開かれるプロライダーによるMTBの講習会でした。行ってみると、普段はBMXのコースですから、僕が講習を受けている隣で同世代の子がバンバンBMXで走っている...。
Cyclingood
それが栗瀬少年の目にどう映ったのでしょう。
栗瀬さん
BMXって格好いい!と。山道を走るMTBも面白いけれど、小さな車体でジャンプや技をきめながら走るBMXも違った面白さがあると感じました。父は好きなことを何でもさせてくれる人だったので、そこからMTB・BMXの両方を楽しむようになりました。

Cyclingood
小学生でMTB・BMXをはじめて、大会でもすぐに結果が出るようになったのでしょうか?
栗瀬さん
実はまったくで、ウサギとカメで言えば完全にカメタイプ。特にBMXでは予選も通らないほど。周囲から「あの子はがんばってるけどね...」と同情のような視線を感じて、指導に熱心だった母もずいぶん悔しい思いをしていました。練習に行けば落ちこぼれだし、学校でもMTBやBMXなんて通じないし、家の裏の空き地に一人で黙々と練習コースを作って走っていましたね。
Cyclingood
それは、負けないぞ!という反骨精神が原動力だったのですか?
栗瀬さん
それよりも、走っているときの楽しさ、格好よさ。ジャンプがうまく飛べたときの、周囲の反応が心地よくて。だからいつも、「ここにプロ選手もお客さんもたくさんいて、みんなで盛り上がれたら最高だろうな」と妄想しながら空き地で地面を掘っていました。また、父が何の根拠もなく「裕太はやればできる」と言ってくれたので、僕もその言葉を信じていましたね。
Cyclingood
「ウサギとカメで言えばカメ」だった栗瀬さんが13歳という若さでスポンサー契約を結ばれるまでには、何か契機があったのですか?
栗瀬さん
BMXで壁にぶつかっていた頃、なぜかMTBでは芽が出はじめました。大会でプロ選手を負かすこともあり、「あの子スゴいぞ!?」と周囲の目が変化してきて。MTBとBMX両方で活動していることも注目されて、スポンサー契約につながりました。きっと、BMXで鍛えた体幹や身体の使い方がMTBに生かされたのでしょう。海外の選手たちは幼少期からBMXを練習に取り入れているそうです。
Cyclingood
両競技を通して蓄えた力が、結果に結びつくようになったのですね。
栗瀬さん
高校生になるとBMXでも結果が出るようになり、卒業後はそのままプロの世界へ。当時は僕のように両方に乗るスタイルは珍しかったので、どちらも本気だと示すために、まずは日本一になるという目標を立てました。そして20歳のとき、4人で着順を競うMTBの4クロスという種目で全日本チャンピオンになることができました。

Cyclingood
有言実行で日本一に。その後国内外の数々の大会で活躍されますが、自分のコースを作りたいという目標はいつ頃から温めていたのでしょうか。
栗瀬さん
世界選手権などで海外に出るようになってからです。BMXもMTBもオリンピック種目でありながら、日本ではまだまだマイナーです。一方で海を渡れば比較にならないほどの注目度がある。もちろん選手のレベルも高く、ファン層も厚い。特に衝撃だったのは、2007年でした。
Cyclingood
栗瀬さんがBMXレースのワールドカップに出場された年ですね。
栗瀬さん
翌年に北京オリンピックを控え、ワールドカップはオリンピック用のコースで行われました。BMXレースは高さのあるスタート地点から坂を一気に駆け下りてコースを走り、8人で着順を競います。日本では4〜6メートルのスタートヒルが一般的なのに、北京ではオリンピックを前に競技がぐんと進化していて、スタートヒルはなんと8メートル。
Cyclingood
8メートル!スタート地点が倍ほどの高さに。
栗瀬さん
まず怖くて。足がすくんで、どう走ればいいのか分かりませんでした。それなのに強豪国の選手たちは構わずスタートしていくわけです。大会コースが発表された直後に自国でも8メートルのスタートヒルを建設して練習してきたと聞いて、とても敵わないと思いました。
Cyclingood
世界とのレベルの差を痛感されたことで、世界に追いつくためのコースを日本にも作ろうと?
栗瀬さん
当時私はスキー場で夏季の間オープンする自転車フィールドに勤めており、まずはそこに掛け合いました。でも、「栗瀬くん、8メートルのスタートヒルを作ったとして、何人利用する?」と言われて。数人のプロ選手しか使わないような採算の合わないコースは作れない。他に作ってくれる人もいない。それなら、もう自分で作ってしまおうと。

世界との差を目の当たりにした栗瀬さんは、自ら世界レベルのコースを作ろうと一念発起。勤め先を辞職し、土地探しをはじめます。
後編では栗瀬さんの名前を冠した「YBP(Yuta's Bike Park)」完成までの道のりと、自転車への想いについてお届けします。

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