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2020.11.06 更新
ロードレーサーから、いつしか日本の
パラサイクリング界を支える存在に。
自転車を通じて"人を育てる"ために駆け回る毎日。
2012年に日本パラサイクリング連盟を立ち上げ、専務理事を勤める権丈泰巳さん。連盟の運営やパラサイクリング日本代表監督など多方面に活躍されていますが、大学まではプロの競技者をめざしてロードレースに打ち込み、卒業後、一度は家業を継ぐために競技の世界から離れたそうです。
そんな権丈さんがなぜ、人生を通してパラサイクリングに関わることになったのか、その経緯や自転車への思いについてお聞きしました。
日本パラサイクリング連盟 専務理事
権丈 泰巳さん
権丈 泰巳さん
出身は福岡県。中学生のときにツール・ド・フランスに魅了されたことがきっかけで、ロードバイクの世界へ。日本大学に進学し、選手として数々の大会に出場、海外遠征も経験。卒業後は選手を引退するも、大学時代の縁からパラサイクリングの日本代表監督に就任。2012年に日本パラサイクリング連盟を立ち上げ、現在は強化選手7名、登録選手30名のサポートと共に、普及活動に邁進している。
後編の「権丈さん」
- 日本パラサイクリング連盟を立ち上げた理由
- パラサイクリング普及の壁
- 「乗れた!」その喜びが原動力
大学時代の縁がつながり、トントン拍子でパラサイクリング日本代表コーチに就任された権丈さん。「応援してもらえる選手を育てること」をモットーに、選手育成に励んで来られました。仕事と両立しながら多忙な日々を送る中、パラサイクリングに対する自身の向き合い方に疑問を感じるようになったそうです。
コーチとしてパラリンピックに出場するようになってからも、パラサイクリングとは別で仕事をされていたのですよね。
権丈さん
平日は仕事、週末になるとトレーニングや合宿という毎日でした。でもだんだんと、私の仕事の都合に合わせて合宿の予定を組んだり、日程を短くしたりするのは違うんじゃないかと思えてきて...。それで本腰を入れてパラサイクリングに向き合おうと考え、2012年に日本障害者自転車協会から日本パラサイクリング連盟に移行して、理事長に就任しました。会社はその後売却し、完全に専業になりました。
専業になってからは、どのような活動を?
権丈さん
『何でも屋』はそのままですが(笑)、2015年に国内初のパラサイクリング国際大会「ジャパンパラサイクリングカップ」を開催しました。会場は、その頃連盟の所在地だった静岡県伊豆市にある競技場、日本サイクルスポーツセンターと伊豆ベロドローム。海外から招いた各国の選手と日本の選手たちが、障がいの種類と使用する自転車により4クラスに分かれて、トラック競技やロードレースで順位を競います。企画した理由は、一般の方に生のレースの迫力を体感してもらうことはもちろん、日本の選手たちに世界の実力を感じてほしいと思ったからです。普段は海外遠征があっても、予算が少ないため何人もの選手を連れて行くわけにはいきませんから。
初開催となると、準備などいろいろと大変そうです。
権丈さん
スポンサーを探したり、開催告知のポスターを貼らせてもらうために何軒もお店を回ったり、やはり何でもしました。海外の選手にはメールで参加の可否を確認していたのですが、なかなか返事が来なくて、日程ギリギリに「迷惑メールに入っていたよ」と言われたときはヒヤリとしましたね。
海外からの参加選手の選定や連絡も権丈さんがされたのですね。
権丈さん
海外遠征の際に、各国の選手のレースや試合前後の様子もチェックしていましたから。「応援してもらえる選手」を育てることを大事にしている私としては、試合以外の立ち居振る舞いも重要なチェックポイントです。ジャパンパラサイクリングカップでは、競技者としても、人間としても尊敬できると私自身が確信した選手に声をかけました。集客には苦労しましたが、選手にとってはいい刺激になったと思います。特に日本の選手は、普段よりもずっといいタイムが出たり、「権丈さん、日本で国際大会を開いてくれてありがとう」と声をかけてくれたりして、胸が熱くなりました。
この大会はその後2017年に第2回を開催し、現在は第3回大会に向けて計画中です。
この大会はその後2017年に第2回を開催し、現在は第3回大会に向けて計画中です。
一から作り上げた大会は、喜びもひとしおでしょうね。
権丈さん
喜びと同時に、こうしたパラサイクリング普及のための活動をもっとやっていくべきだと痛感しました。コーチに就任したばかりの頃は、パラリンピックが終わったらまた次のパラリンピック...と必死で、「どう普及させるか」までは深く考えていませんでした。活動予算を得るために、メダル獲得などの結果ばかりに意識が向いていたからです。ただいつも、メダルを獲っても選手の障がいに注目が集まって、パラサイクリングの魅力が伝わらないことがもどかしかった。
パラサイクリングが注目されるのは、良いことのようにも感じますが...?
権丈さん
例えば、40歳を過ぎた選手がメダルを獲ると、年齢のことばかりが報道されます。すると同年代で障がいのある方からの問い合わせが増えますが、報道では競技の魅力に触れていないことがほとんど。だからいくつメダルを獲っても、一時的なブームで終わってしまいます。そうではなく、競技の魅力や迫力、選手のテクニックといったスポーツとしてのおもしろさを伝え、競技者をめざす人や継続的に応援してくださる人を増やすことが重要なのです。
権丈さん自身がツール・ド・フランスを見てロードレースの虜になったように、パラサイクリングのスポーツとしての魅力を伝え、「かっこいい!」と憧れる人を増やすことが大切なのですね。
権丈さん
日本では、パラサイクリングは福祉だと思っている方が多いと感じます。ともすると選手や保護者の方さえもそう感じているかもしれません。ですが、パラサイクリングは一時的な福祉ではなく、一生涯楽しめるスポーツです。一生涯つき合う障がいと同じように、人生に寄り添い続けるスポーツとしての魅力をもっと世間に伝えたいですね。
パラサイクリング普及のために、そこまで尽力される原動力は何なのでしょう。
権丈さん
やはり大学時代に目にした、障がい者の方が「乗れた!」と純粋に喜ぶあの姿ですね。誰にとっても、自転車に乗れたときの喜びは特別だと思います。自転車教室などで見ていても、乗れた瞬間は皆さん本当にいい顔をされますよ。
それでは、今後の展望をお聞かせください。
権丈さん
「Cycle Smile Japan」プロジェクトと題して、自転車が生み出す「乗れた!」「気持ちいい!」、そんな笑顔の輪を広げる活動を企画しています。日本パラサイクリング連盟は2019年から所在地を福島県いわき市に移しました。いわき市はスポーツでの地域活性に力を入れていて、新たなサイクリングロード「いわき七浜海道」がオープンしたばかり。自転車を楽しむのにうってつけのこの場所を基点に、競技者の育成はもちろん、障がいの有無に関わらず参加できるサイクリングイベントや自転車教室の開催などを通じて、パラサイクリング普及の土台を作っていきたいと考えています。
パラサイクリングに携わる約20年の間に、さまざまな苦労を経験された権丈さんですが、インタビューの間中、その苦労を感じさせないほど終始笑顔で語ってくださいました。「パラサイクリング普及のためにできることはまだまだある」と語る権丈さんのこれからのご活躍と、パラサイクリング界の未来を楽しみにしています。