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2024.08.07 更新
≪ Part③のお話 ≫
- 散走をはじめた理由と、陸奥さんの参画
- いわき市らしい、私たちらしい散走にするために
- ハプニングを含めて、LIVEを楽しむという思い
寺澤さんがノレル?プロジェクトに関わるようになって、
自転車の世界にぐっと近づいた2021年。
ここから散走の取り組みが動き出していきます。
僕は2012年からいわきのまちづくりや地域活動に関わるようになりまして。以降、ほぼ毎年のように足を運んでいました。具体的には2015年に、いわきアリオスさんの「スキマチイワキ」で中之作を、2018年の「いわき潮目劇場」のプロジェクトで神谷のまち歩きをしたりしました。東日本国際大学で先生をやっている江尻浩二郎さんと知り合って、江尻さんの案内でいわき中を巡ったことや「十十王申す復活プロジェクト」などにも多大な影響を受けました。いわきの奥深さにどんどんはまっていったという感じですね。
僕は普段は大阪でコミュニティ・ツーリズムの専門家をやっていますが、これは「地産地消の観光」ということです。インバウンドや外国から来る観光客もうれしいですが、あまり永続的な関係性ではなくて、残念ながら一過性で終わることが多いです。しかし大阪の方が大阪を巡り、知らなかった歴史や文化、先人たちのドラマに触れると「わがまち意識」や「郷土愛」が芽生えて、まちづくり活動につながります。でも、こうしたコミュニティ活動は震災以降のいわきでは非常に盛んで、大阪以上に活発だと思います。ローカル・アクティビストの小松理虔さんやゲストハウスFAROの北林さん、菩提院の霜村さんなど、むしろ僕の方がいわきの皆さんに学ぶことが非常に多かったです。
参加者を集めていわき市を自転車で走るということは、どこをコースにするか、ガイドを誰がするのかを決めなければなりません。自転車にも地域にも詳しいことから、最初は今日も参加してくれていたヨーヨーくん(小野さん)にお願いしました。彼は自転車経験が豊富なので。でもずっとヨーヨーくんにお願いするわけにもいかない。コースもいわき市が復旧・復興事業により整備した「いわき七浜海道」を活用する形で考えていたのですが、いわきはもともと14市町村が合併した市で、海も山も街もあって。七浜海道だけでは、その全てを網羅することができないんですね。どういう散走がいわきらしく、私たちらしいのか、という答えが見つからなかったのです。
リサーチには正直、かなり手間と時間をかけています。でも、それもいわき地域学会や先人たちの素晴らしい地域研究、郷土研究があったからできることで。それらの資料を参考にして、サポーターさんと一緒に現地を歩いてみる、詳しい人を探し出して話を聞くということを繰り返していきます。これは地道ですが、おもしろい作業で。今日の赤井焼のメルカリの話なんかも、自分で気になって調べてみてね。つながりのつながりで、新しいつながりができていくのもうれしいですよね。今日もほら「スナックもも」の話が出たでしょう。鈴木さんや神長さんと出会ってなければ知り得なかったかもしれない。いわき時空散走は、こういう人が人をつなぐ連鎖があってのものです。
なんとか達成できるように皆様からのご協力を得ながら、プロジェクトを進めています。マップを作るというアウトプットを通して、いろいろなコミュニティを見える化したいというのが根っこにあります。いわき市は広く、各地域に歴史や物語がありますが、30マップを達成できると全体的に網羅できると思います。
そのとき、その人、その場所だから偶発的に生まれる関係性や知識の広がり。
それをたっぷりと体験できた「いわき時空散走」の1日でした。
軽快な掛け合いの解説、みんなの返答、そして笑い。
これらはすべて、寺澤さん・陸奥さん、そしてサポーターの方の
丁寧なリサーチとコース設定が
あってのものであることは間違いありません。
「時空」を軸に、同じ経験を共にすることで
自然と、でも確かに強くなっていくつながりと地域愛が
この散走の本質的な価値のように感じました。
取材撮影にご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。
いわき市を深く楽しむこの取り組みが、多くの人に届くことを願っています。