ブラッキー中島さんの「守りたい」こと。❶

ブラッキー中島さんの「守りたい」こと。❶

ブラッキー中島さんの「守りたい」こと。❶

2021.09.17 更新

グラフィックデザイナーでありながらベルギー発の自転車教育法「ウィーラースクール」を継承し、子ども向けの自転車教室を実践しているブラッキー中島さん。京都府の美山町に移住してからは、数々の自転車関連イベントを企画・参画されていることをご存知でしょうか。しかもそのフィールドは今や自転車だけに留まらず、米づくりや里山保全にも広がっています。自転車、教育、地域活性、農地保全などのブラッキーさんを取り巻くキーワードがどんなふうにつながっていくのかを確かめるために、活動拠点である美山町のCYCLE SEEDSを訪問しました。

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中島 隆章(ブラッキー中島) ウィーラースクールジャパン代表

1963年生まれ。京都市出身。「一人でも多くの子どもに自転車の楽しみを」を合い言葉に全国のサイクリストの有志が集まったネットワーク「ウィーラースクールジャパン」の代表。自転車をきっかけに京都の美山に惚れ込み、古民家に移住して「美山自転車の聖地プロジェクト」や農地保全活動「たねもみプロジェクト」を実践するなど自転車を利用した地域活性化に取り組んでいる。グラフィックデザインオフィスフェイムイマジネーション代表。兼業農家。2017年には「美山自転車の聖地プロジェクト」で、京の公共人材大賞最優秀賞を受賞。

≪前編のお話≫

  1. 子どもの自転車教育、このままでいいの?という起点。
  2. ウィーラースクールジャパンの継承、そして美山へ。
  3. 歴史ある自転車レースが抱えていた課題。

ブラッキー中島さんがお住まいの京都府の中央部に位置する美山町は、
大阪からクルマで1時間半ほどの距離であるにも関わらず
山々に囲まれ、由良川の源流が町の中央部を流れる豊かな自然の残るまちです。

ブラッキーさんはこの景色に魅せられたのだなと思いながら、
拠点である「CYCLE SEEDS」を訪れると、「まずはこのあたりをご案内しますね」と、
裏側に建つご自宅や自家栽培の野菜が大きく育つ畑、そして「この景色、いいでしょう」と
青々とした稲が優雅にそよぐ田園風景を見せてくださいました。

見渡す限り遮るもののない、青い空と自然の緑がひとつに溶け込むこの景観。
自転車教室「ウィーラースクールジャパン」を展開しながら、
ここにたどり着いたブラッキーさんの経緯についてますます興味がわいてきました。

※ウィーラーとはベルギーの言葉(フラマン語)でサイクリングの意味

Cyclingood
ブラッキーさんがウィーラースクールの運営を継承されることになった経緯についてまずはお聞かせいただけますか?
ブラッキーさん

私の息子が自転車に夢中になって、親子で輪行やツーリングを楽しむようになったと同時に、子どもが道路を走る危険性について考えるようになりました。車道の左側に止まっていると、ドライバーから子どもが死角になって見えない場合があるんです。子ども自身が危険性に気づき、回避できることが必要だと思っていた矢先、たまたま神戸で開催していたウィーラースクールによる子ども向け自転車教室に出合いました。

Cyclingood
そこで興味が一気に高まったのですか?
ブラッキーさん

その頃の子ども向け自転車教室は、ルールを遵守することを目的とした警察主催のものや、いわゆる速さを競うレース志向の指導が一般的でした。ところがウィーラースクールでは子どもがジグザグと走りながら楽しそうに参加している。これは今までの教育法とは明らかに違うと直感して、私自身も活動に参加することに。その後運営していた組織が解散することになったので、私が個人で継承することを決めました。

Cyclingood
ウィーラースクールの指導法のどのようなところに惹かれたのでしょう?
ブラッキーさん
ベルギー発のメソッドなのですが、速さよりも楽しさを重視しているところです。ヨーロッパのような自転車文化を日本で創り上げるには、規則を押し付ける指導ではなく喜びを広げる指導でなくてはならない。そういう私の思いにこのウィーラーのメソッドはまさにぴったりでした。

Cyclingood
継承されてからはどのような活動に取り組まれたのでしょう?
ブラッキーさん

まずは指導法を自分なりに確立しようと、このメソッドを翻訳してテキストに仕上げ、自主性や社会性を育む場になるようプログラムを整備しました。テーマは「正しく、速く、楽しく」。環境の変化が著しい自転車での走行中に、どんな状況でも最善を尽くせる判断力を身につけられることも意識しました。

Cyclingood
自転車教育というよりも、人間性を伸ばす学びの場のようですね。
ブラッキーさん
そうかもしれませんね。この教育法には本当に効果があるのかの検証を重ね、これまで机上の空論ではない"実になる指導"になるようブラッシュアップを続けてきました。ウィーラースクールを継承したのが2006年ですからあれから約15年。第1期生だった子どもたちは成長して、システムエンジニアや映像制作のスタッフとして、今の私の活動をサポートしてくれるようになっています。
Cyclingood
それはすごい! とてもうれしい変化ですね。
ブラッキーさん

今までやってきたことに対して、このような成果が出るのかと私自身も改めて感じました。いやあ、うれしいです。めざしてきたのは未来の優良な交通市民を育てることでしたが、自転車を通じて指導してきた「どんなときも最善を尽くす」、「対話を通じて自ら気づく力を伸ばす」ということがいろいろな意味で結びついているのだと感じますね。

Cyclingood
そして2009年に美山町へウィーラースクールの本拠地を移されました。 その理由は何だったのでしょう。
ブラッキーさん

そろそろひと所に腰を据えてスクールを定期的に実施したいと思うようになっていたのが理由のひとつです。地域を巡回しながらのスタイルでは参加してくれる子どもとの出会いが一度きりになってしまうことも多かったので、そういう状況を変えたいという想い。そしてもうひとつの理由が、この美山町の環境にすっかり惚れ込んだことです。

Cyclingood
他の地域と美山町ではどんな違いを感じられたのでしょう。
ブラッキーさん

京都美山ロードレースに初めて参加したとき、まずここの田園風景の美しさに心奪われました。サイクリングを楽しむ際に、地方であっても国道沿いに大型店舗が並ぶ景色をよく見ていたのですが、美山町にはそういう景観はありません。ここが日本の原風景なのだと感じたこと、さらには水、空気、米、肉の何もかもが美味しくて驚いたことや、沿道で農作業の手を止めて応援してくれるお年寄りの姿が強く印象に残ったことが大きかったです。

Cyclingood
こちらに移住されてから、ウィーラースクールの運営以外にいろいろな活動をはじめられていますよね?
ブラッキーさん

私がここでいろんな活動をするようになった最初のきっかけは、その美山ロードレースでした。これは4半世紀以上の歴史を持つ日本でも珍しい公道を使った自転車レースで、私も競技者としてこのレースに参加していました。ここに移り住んで私自身も住民の立場になってから、ふと疑問がわいてきたのです。多くの参加者が集まるこの美山ロードレースはこの地域にとってどういうものなのだろうか、と。

Cyclingood
そして何か行動を起こされたのでしょうか?
ブラッキーさん

ええ、300人ほどの参加者にアンケートを行いました。ここまでどのようなルートで来ているか、滞留拠点はどこか、レース後どうしているかなど。その結果、これだけ盛大なイベントであるにも関わらず、ほとんどがレースに参加しに来ているだけで、美山に滞在せずに帰ってしまっていることがわかりました。経済効果も人的交流も、さらには地域の理解も少ないことがわかってきたのです。

Cyclingood
それは調べてみないとわからない実態ですね。
ブラッキーさん

このままでは美山の人々に自転車の価値を理解されなくなってしまうという危機感と共に、サイクリストにもこのまちの魅力を知ってもらう必要性があると考えました。第一弾としてサイクリングマップを作り、バイクハンガーの設置を掛け合うなどの活動を始め、それを軸とした「自転車の聖地プロジェクト」を住民たちと立ち上げました。その一環で、新たにWebサイトの活用や、イベントプログラムの拡充など、サイクルロードレースのさまざまな改革を実施。2011年からスタートした「美山自転車の聖地プロジェクト」はこうした背景から大きく動き出していったのです。

子どもへの自転車教育の必要性から
ウィーラースクールの継承、そして美山へ。
サイクリストと地域との関わりへの疑問視から、ブラッキーさんの活動は
さらに広がっていきます。この続きは後半にて!

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