池永さんの「幸せに生きるための

池永さんの「幸せに生きるための

池永さんの「幸せに生きるための

2019.01.30 更新

こころもからだも健康になることはとても大切なことですが、そもそも人は健康になるために生きているのではなく、
健康の先にある「幸せ」を求めているのだと思います。現代を生きる日本人は「個」に根ざした多様な価値観をもち、
それぞれが描く「幸せ」のあり方も三者三様。では、幸せに生きるというゴールに向かって健やかな心身が生み出す
ものとは何だろう?と考え、Cyclingoodが出したのは「知性」「感性」「社会性」でした。この考えについて
池永所長にインタビュー。健康と幸せの間にある「人力」の必要性について、お話をお聞きしました。

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池永 寛明 大阪ガス株式会社 エネルギー・文化研究所(CEL)所長
1982年大阪ガス入社。人事労務、業務用・産業用エネルギー部門で中期事業計画、エネルギーのマーケティング、国内新規エネルギー事業開発に従事。2008年4月に日本ガス協会企画部長に出向、2011年4月に大阪ガスに帰社後の北東部エネルギー営業部長では東日本大震災後のエネルギー・レジリエンス対応、近畿圏部長としてまちづくり・ソーシャルデザインを通じた地域との共創活動を行った後、2016年4月より現職。

≪前編のお話≫

  1. 自転車は「○(まる)」である!?
  2. 今の世の中には適合不全が起こっている。
  3. 簡単に答えが出せる利便性の反面、失った思考のプロセス。
  4. まるで自転車で走るときのように、知の寄り道も大切。

自転車で健康になったら、何を生み出すのだろう?
脳を活性化し、感覚的な気持ちよさをもたらし、
人のつながりを生み出す自転車の効果は、
これまでさまざまなコンテンツでお伝えしてきましたが、
それがどのような「幸せ」につながっていくのだろう?
そう考えたのが、池永所長にインタビューをお願いするきっかけでした。
どんどん世の中が便利になり、進化のスピードが加速するなかで、
人のチカラ、人力はどのように必要となっていくのか。
自転車がつくる人の「知性」「感性」「社会性」は
どのように活かされていくのか。
そんな疑問を解き明かすべく、池永所長と向き合った途端、
このようにインタビューはスタートしました。

池永さん

私、気がついたんです。自転車は○(まる)なんですよ。
車輪やベアリングの形は○ですし、仲間が揃えば丸くなって集合するでしょう。人が集まって円・輪になり、ご縁を紡いでいく。
自転車文化がもたらすものは、この輪であり、和であり、縁なのです。

Cyclingood
自転車は輪・和・縁。この考えは初めて聞きました。
池永さん

世の中の基本構造は「○」です。
古来、日本の家族は火を囲んで円になって食事をしていました。
円になるということは全員が等間隔に位置し、誰かの話を全員が共有できます。 この等間隔の位置関係はまちづくりにも活かされ、人と人の輪と縁を育むコミュニティとして発展してきました。 まるで自転車の車輪のような、前進するための社会構造だったのです。

Cyclingood
人が集まる場所の基本形は、○にあったと。
池永さん
そして自転車の「転」とは、「轉(ころ)」、ころがすことです。
自分の意志で前に進み、行きたいところに行けるという自由があり、そこには視る・聴く・触れる・嗅ぐ・味わうという五感に直結した感性を磨く機会にあふれています。 自転車の構造と自転車による行動には、人間のあるべき姿が詰まっていると言えますね。
Cyclingood
その人間のあるべき姿、幸せの追求について私たちは自転車運動による健康がもたらすものは「知性」「感性」「社会性」ではないかと考えたのですが、どのように思われますか?
池永さん
それは良い発想ですね。
いずれも人が幸せに生きる上で、欠かせない人力だと思います。
Cyclingood
では、物ごとを知り、考え、判断する能力である「知性」についてお聞きしていきます。 知性に関することで、今の世の中の現状を池永さんはどのように受け止めていらっしゃいますか?
池永さん
まず前提として、人生100年時代と言われるようになり、今後ますます地域社会のあり方、産業構造が大きく変わっていくと考えられます。 人の価値観もそうでしょう。結婚しない人、就職しない人が増えて1960年代から変わらない社会の制度・仕組みと適合しなくなっています。
つまり適合不全。これからさらに経験したことのないようなひずみが起こるのではないかと想像しています。
Cyclingood
社会のひずみ。適合不全...
池永さん
もともとあった制度・仕組みは、何らかの目的・本質に根ざして作られていますが時代が変わっても制度・仕組みはそのままで人の価値観だけが変化している。 そのため本質を見失い、わからなくなってしまっているのが今の日本社会の構造です。
Cyclingood
そのような背景は、人の知性に影響しているのでしょうか。
池永さん
本質を見失っている、という点では情報革命の影響は避けられません。 わかりやすい例を挙げるとスマートフォンに代表されるITの進化。
電話、カメラ、ナビゲーションシステムなどあらゆる機能がスマートフォンに集約されたことで、時間の概念や感覚を変えたと共に、思考する時間を失いつつあります。

Cyclingood
それは検索すれば容易に答えを出せるというテクノロジーによって
思考方法が変わったということでしょうか?
池永さん
そうですね。わからないことはその場で調べて情報を得る。 この利便性はもちろん素晴らしいことですが、答えを出すまでのプロセスを失い、人間が頭を使って考える、思考するという行程を失いつつあると言えます。
Cyclingood
確かに、検索で出た情報が正しいのかを判断しようとすることすら
しなくなっているような気がします。
池永さん
そうでしょう。思考のプロセスを失う、つまりはインプットとアウトプットの間がブラックボックス化することで、本来的な意味から結論が離れてしまうことも危惧されます。 このような変容・変質を起こさないためには、答えを出すために試行錯誤を重ねてロジックを組み立てる、あるいはトライアルを続けてときには失敗をして自らのチカラで本来求めている答えにたどり着くという道すじを切り開いていかなければなりません。その過程にこそ、知性の芽が育まれていくのです。
Cyclingood
いろいろな情報から取捨選択し、答えに至る道すじを
開拓していくようなイメージですね。
池永さん
その通りです。その道すじにはときには寄り道も必要だと思います。
たとえば昔は調べ物をするときに、辞書や辞典を頼りにしていました。このとき、調べ物の対象とはまったく異なることに意識が流れて読み込んでしまったという経験は誰にもあると思います。
Cyclingood
はい。よく関係ない言葉にふらっと立ち寄ってしまっていました(笑)
池永さん
その「知の寄り道」で得られる情報の広がりは計り知れません。
このような機会を失っていることを自覚すれば、
答えに早く行き着くだけがすべてではないと言えます。
Cyclingood
それは自転車で走っているときとよく似ているように感じます。
気になった場所に寄り道をして得られた情報や知識にはどこか特別感があって有意義に感じます。 早く到達することだけを目的にせず、知性の種を集める寄り道や思考を巡らせるプロセスそのものをどのように作っていくかが問われているのでしょうね。

すぐ答えを出せるという利便性に頼ってばかりいては
自分の思考力、オリジナルの答えを導き出すチカラを失ってしまうという
池永さんの言葉にハッとさせられた人は多いのではないでしょうか。
自転車と同じように、目的地に早く到達するばかりではなく、
ときには思いを巡らせ、思考を寄り道させてみることも
知性を育む大切な遠回りになるようです。
さて後編では「感性」と「社会性」について伺っていきます。お楽しみに!

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