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2018.05.18 更新
2006年から自転車によるひとり旅をされている西川さん。すでに36カ国、90,000kmを走破し、
2012年からは世界と日本の子どもたちをビデオ通話でつなぐ「ちきゅうの教科書」という課外授業を
実践されています。自転車で世界をめぐることは、想像以上に過酷な状況に見舞われることもあり、
継続することも決してたやすくないはず。それでも世界をめざし、子どもの教育に関わる取り組みを
続けられているその思いや背景を、じっくりとお聞きしました。
≪前編のお話≫
- 自転車との出会い。
- 「後悔しない生き方」を考えるようになった友の死。
- そして自転車旅へ。世界へ。
- 教育活動へと気持ちが変化した、東北ボランティア。
「自転車冒険家」と聞くと、「何のために?」「大変なのになぜ?」という
いくつもの疑問がわいてきます。
個人の活動として捉えられがちな「冒険」という取り組みを、
子どもの教育という社会的な活動にも発展させている西川さんは、
2017年だけでも全国4つの小学校、1つの中学校の年間カリキュラムとして
世界と日本の教室をつなぐ「ちきゅうの教科書」を実施されました。
1年の半分は海外にいる生活を何年もされているのは何のためだろう。
どうして世界をめぐる旅が子どもの教育につながっていったのだろう。
出発を目前に控えたご多忙中のわずかな時間をいただき、
西川さんの笑顔のその背景を覗かせてもらいました。
大学2年のときに僕にとってとても大きな出来事が起こりました。
親友が事故で亡くなったのです。
彼の死は僕に「後悔しない生き方」を考えるきっかけを
与えてくれました。
その後ファッションに興味があったこともあり、
ファッションの本場であるヨーロッパを旅することを決めました。
航空券だけを用意した、行き当たりばったりの
バックパッカーの旅でした。
結構早くから打ちのめされてしまって。
ロンドンの繁華街をしょげながら歩いていたら、偶然高校時代の同級生とばったり出会ったのです。不思議な話でしょう。
「踏み出したら何かが起こる」ことが身にしみた旅となり、
それから長期休暇を利用した海外旅をするようになったのです。
オランダの食堂にいたとき、年配の男性が入ってきて
「これから自転車でドイツまで行く」と。聞くと70歳だと。
そのバイタリティにとても驚いたんですが、
国境を超える自転車旅に惹かれたのは
この方との出会いがきっかけでした。
大学卒業後に、まずは日本での自転車旅に挑戦しました。
踏み出しました。
親には「25歳までやらせてほしい」と約束をして。
実際に世界を走ってみると、聞いただけではわからない身体に染み込んでいくような体験がたくさんあります。
旅での出来事すべてに自分で責任を負わなければならないけれど
まるごと「生きること」に直結するという実感が、
僕を夢中にさせました。
最初は不安だらけでしたよ。
荷物を積んだ自転車を必死になってこいでいると、
外国人ということもあり目立つので人が寄ってきて
呼び止められるんです。
最初は怖くて仕方なかったのですが、
それが次第に面白さに変わっていきました。
もちろんコミュニケーションはまともに取れないのですが身振り手振りで「伝えよう」とすると不思議なもので会話が成立している(笑)。
でもきっと、汗をかいて走っている「自転車の人」だったから
あんな風にフランクに声をかけてもらえたのだと思いますね。
そんな体験がたくさんありました。
決して裕福なわけではないのに、家族で分け合うはずだった食事を僕にふるまってくれたこともありました。モノがない、お金もない、けれど助け合って生きることの本質的な豊かさがここにある。
日本にいるだけでは気づかない人の営みとしての素晴らしさに、自転車が出会わせてくれたのです。
子どもの教育に関わっていくようになります。
その経緯について教えていただけますか?
実は2006年の日本での自転車旅で、福島県の新地町にご縁が生まれ、とても良くしてもらって1週間ほど滞在したことがありました。
2011年の3月に海外へ出発しようとした矢先、東日本大震災が起こりました。新地町にも被害が及んでいます。
僕は海外に行くのを止めて、すぐさま新地町に向かいました。
そう。居ても立ってもいられなくて。
最初は避難所で自転車のパンク修理などをしていましたが、
そのうちボランティアセンターが立ち上がり、各地からのボランティアの受け入れを手配するコーディネーターの仕事を任せてもらえるようになりました。
避難所に住み込み、学校に行けない子どもと遊んだり、
仮設住宅になってからは地域イベントを企画したり。
およそ1年間、新地町の子どもとふれあい、「この子たちが大人になるまで関わっていたい」と考えるようになったのです。
はい。
A4サイズの用紙に企画をまとめ、地元の教育委員会に提出しました。
その紙に書いたのは
「海外での旅の出会いを学校の教室とつないで届ける」
という内容。
僕がこれまで新地町で活動していたことを良く知ってくださっていたこともあり、スムーズに受理されました。
友の死によって「後悔のない生き方」を考え、
自転車を相棒に世界の人の暮らしに入り込み、
本質的な人生の豊かさに気づいていった西川さん。
そして震災によって結ばれた地域の子どもたちとの縁を、
長期的につなげていくための課外活動提案。
一つひとつ、自分で感じたことをしっかりと受け止めて行動に移す
西川さんの生きるスタイルは、教育という場面にステージを広げていきます。
その詳しいお話は、後編にて。