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2024.07.31 更新
≪ Part②のお話 ≫
- 鬼馬塚で地元の長老さんに質問攻め
- からし坊主伝説と、スナックもものこと
- いわきの女傑、シメ子さんのエピソードにビックリ!
華正楼さんで満腹になるまでしっかり味わい、
気さくな会話で初対面の照れもすっかりなくなって、午後のツアーへ出発。
メンバーそれぞれの個性が少しわかってきて
ペダルが軽く感じる再出発です。
住宅地を抜けて到着したのは、鬼馬塚(きまづか)という地域。鬼と馬の入った地名が気になるところで、この地に伝わる伝説について説明がはじまります。
「ここに頭は馬、体は人間の姿をした鬼馬童子と呼ばれる鬼が、毒草を食べて中塩の山で狂い死んで、埋められた鬼馬塚があるのが起源のよう」
という話をしていたら、大学で日本語教員をされている参加者の秋山さんが顔見知りらしき地元の年配の方を連れて来られて...
この伝説や塚の由来をご存知か、とみんなからの問いかけに、
「塚とは岩のことだね」
「頭は鬼、身体と足は馬だったかな」
と「地元の長老に直接聞ける機会を逃すまい」とばかりの質問会に。人が人を呼んで、会話が広がっていくのも散走のおもしろさ。
みんなで「塚はあの辺り?」と竹藪の奥を覗き込んで、さあ次の伝説スポットへ。
自転車を止めて「え?ここ?」と見上げたのは、傾斜面にお墓が並ぶ安養寺というお寺。「ここに何があるんだろう?」と思いながら説明を聞くと、これがまたユニーク!
「賭け事好きの僧侶がいて、負けた相手にカラシを食べさせていました」
「カラシ??」
「大負けした僧侶がいたので大量のカラシを食べさせたところ、その僧侶が辛さで悶死しまして」
「どんな辛さよ!」
「その後死んだ僧侶の家の跡地にあった石を踏んだりすると村にタタリが起こるようになったという"からし坊主伝説"があります」
「へー。当時のカラシってどんなもんだったんだろう」と、みんな頭の中はカラシ一色に。
お寺を参拝して、タタリを封じたといわれる石を見学して、次のスポット下平窪公民館に到着。雑談をしていると、参加者の鈴木さんと神長さんが取り組んでいるコミュニティ支援の話に。2人が所属する一般社団法人Tecoは、東日本大震災以降にここ下平窪公民館を主な拠点としてコミュニティ活動を行っているそう。震災や台風などで生活が大きく変化する中、つながりを作り、暮らしの困りごとに応え、ここ平窪に住む人の支えとなるための活動を推進しています。
「それで、この場所で実施しているコミュニティ食堂にも顔を出してくれるももちゃんは、いわき駅前でスナックももっていうのをやっているんだけど」
「スナックもも?!」
「ももちゃんは90代のおばあさんなんだけど、いろんな平窪の伝説をご存知で、とにかくその話がおもしろいのよ」と鈴木さんと神長さんが話すと、
「ちょっとそれ行きたい!絶対行く!」と食いつく参加者の皆さん。
「よっしゃ!じゃあいつにする?」
と話が進む進む。顔見知りながらいわき時空散走の参加は初めてだった鈴木さんと神長さんから、2人が知らない地域の「今」が通じ合った瞬間でした。
公民館を出て住宅地を走っていたら、突然民家の前でストップ。聞くと、鈴木さんと神長さんがよく知る小林さんのご自宅で、「まあ入って」とお庭の中へ入れてもらいました。小林さんはもと区長で現在は趣味のめだかの養殖に精を出されているよう。ご自慢のめだかを拝見していたら、「みんなにどうぞ」とアイスをいただきヤッター!こういう偶然の出会いも散走ならではの良さだなあと思いつつアイスをパクリ!
この日の時空散走もいよいよ終盤。軍需用品だったゴム工場の歴史にふれた後、最後のスポット、赤井駅近くの稲田地蔵尊に到着。注目するのは『いわきの三女傑』の一人、船生シメ子さんが書いた『女の一生』という石碑です。
「船生シメ子さんは晩年に赤井幼稚園を開園した人で」
「そうなんだー」
「ご主人とともにレンガ窯業を経営されていて、ご自身で作ったレンガを東京までトラックで運ぶなど、精力的に働かれていたようです。で、シメ子さんをご存知の方に話を聞いたところ、いつも全身真っ赤なお洋服に真っ赤なハイヒールというお姿で」
「へーー!」
「『いわきの三女傑』と呼ばれるだけあって、商才高く、女性らを引き連れて飲みに行っていたという豪傑なエピソードがあるそうです」
「カッケーなーシメ子さん!!」とみんなビックリ。
スタート地点の赤井駅に戻ってこの日のいわき時空散走はフィニッシュ。アップダウンが少なく、これだけのスポットを止まりながらだったので、誰一人疲れた様子は見えません。最後に一人ずつ挨拶をして、寺澤さんから
「まだまだ情報収集を続けて、秋にまた赤井・平窪の散走をやるので皆さんぜひ!」
と締めくくり、解散。いわき市を、赤井・平窪のことをまったく知らない私たち取材班も、仕事を忘れて(いや忘れてはいけません)見て、聞き入ったひと味違う散走体験でした。いやー、どのエピソードもおもしろかったー!
赤井駅を出て、移動したのはいわき市駅近くのカフェ。
ここで寺澤さん、陸奥さんと合流してインタビューさせてもらうことに。
いわき時空散走を終えたばかりのまだ興奮さめやらぬ状況の中、
お2人がいわき市に、この散走に関わることになった経緯からお聞きしました。
東京の美術系大学で演劇を専攻していまして、私が大学3年生の時にゼミの先生が、震災後にできたいわきの防潮堤を巡る作品を作っていたんです。そのリサーチに一緒に行かせていただいたのが、そもそもの始まりです。このときに地域づくり、まちづくりに深く関わる方にたくさん出会って、大きな刺激を受けました。
いえいえ、卒業後は自然や土に興味があったことから千葉で庭師の仕事に就きました。とはいえ心の中にはずっといわき市のことがあって。庭の仕事をしている中で自分が本当にやりたいことを考え、土地に入って人と関わって何かをするならやっぱりいわきだなと。ちょうどその頃にいわきで庭師の仕事をされている方と会って、こちらで庭師の仕事をしながら、文化事業に携わるようになりました。
はい。権丈さんがディレクターを務めるノレル?のプロジェクトが動き始めていたときにひょんなご縁でつながってお会いしたのですが、そのときに私が知りうる限りのいわきの面白い人や場所の話をたくさんしました。話が終わるころには「僕とこの地域をつないでください。」と言われたのを覚えています。その後ノレル?を盛り上げるコーディネーターとしてオファーをいただき正式にスタッフになりました。
愛知出身の寺澤さん、大阪在住の陸奥さんが
いわき市の活動に参加している理由、そしてこの2人だから見つけることができる
いわき市の魅力、散走へのこだわりは?
聞きたいことはまだまだ!インタビュー編に続きます。