田代さんの「安全という土台を作る、ガイドの役割」❶

田代さんの「安全という土台を作る、ガイドの役割」❶

田代さんの「安全という土台を作る、ガイドの役割」❶

2023.07.26 更新

神奈川県の東南部、湘南エリアに位置し、南側は相模湾に面する藤沢市。人気の観光スポット江の島を有し、サイクリングにうってつけの景色と走りやすい平坦な道が続くこの場所を拠点に、田代さんはサイクリングツアーのガイドをするとともに、ガイドの養成を行っています。アテネオリンピック出場という華やかな経歴をもつ元プロアスリートが、なぜこの地でツアーガイドやその養成に取り組むのか、これまでの歩みや現在の取り組みについてお話いただきました。

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田代 恭崇 リンケージサイクリング株式会社 代表
1974年6月7日生まれ。東京都出身。大学時代にロードバイクと出合い、プロの世界へ。 10年間チームブリヂストンアンカーに所属し、海外のレースや全日本選手権などで多くの優勝を飾り、2004年にはアテネオリンピック日本代表選手として活躍。選手引退後、ブリヂストンサイクルに入社し、商品企画や広報、ショールーム運営などを担当。現在はリンケージサイクリング株式会社を立ち上げ、サイクリングツアーやツアーガイド養成などの活動を通してサイクリングの魅力を伝えている。

≪前編のお話≫

  1. 友人の勧めでロードバイクに熱中
  2. 埼玉から北海道まで自転車へ
  3. 約束の2年目でつかんだプロの道
  4. もう二度と自転車には乗らない!

元プロアスリートでオリンピック出場も果たした人が、
現在サイクリングツアーの企画・運営を行い、
さらに全国各地でツアーガイドの養成や自転車の安全講習を行っている。
そんな話を聞き、Cyclingood取材班はさっそく神奈川県藤沢市へ向かいました。
新横浜駅から在来線で南下し、江ノ電に乗り継ぐこと1時間ほど。
電車は狭い路地を通り、車窓からは時おり海を見ることができます。

人気の観光スポット江の島まで、電車でも自転車でも10分ほどの
好立地にある田代さんの拠点、リンケージサイクリングで
まずは田代さんのアスリート人生を振り返るところから
取材がスタートしました。

Cyclingood
田代さんは、若い頃からプロをめざしていたのですか?
田代さん

いえ、まったく。幼い頃は身体が弱くて、ロードバイクに乗ったのは大学生のときが初めてです。友人の勧めでサイクリング部に入部したところ、速く走れることがおもしろくて一瞬で夢中になりました。それほど厳しい部活ではありませんでしたが、私はのめり込んでいきました。

Cyclingood
何がそれほど田代さんを夢中にさせたのでしょう。
田代さん
とにかく走ることが楽しかった。部活動は週1日でしたが、近くの湖までみんなで行ったり、春には能登や伊豆まで遠征に行ったり。特に記憶に残っているのは、毎年の北海道合宿です。現地集合だったので、多くの部員がレンタカーや飛行機で移動する中、私は仲間と埼玉の大学から北海道まで自転車で行きました。
Cyclingood
埼玉から北海道まで、自転車で!?
田代さん
お金はなくても若さと時間がありましたから。5日かけて青森まで、そこからは船で北海道へ。温泉に入っては野宿して、また走って。合宿中も走り通して、帰りも別のルートを自転車で。まさに青春そのものでしたね。

喘息持ちで身体が丈夫とはいえない自分でも、走り続ければ海のない埼玉から自力で海にたどり着くことができる。そんな自転車の自由さに惹かれました。

Cyclingood
そして大学卒業後はプロの道へ。
田代さん

在学中に競技大会で優勝したこともあり、自転車が仕事になればと考えました。両親に相談して、「2年で結果を出せなかったら辞める」という約束でプロをめざすことに。10代からプロをめざす人が多い世界ですから、今考えると無謀ですよね。それでもとにかく地道に練習を重ねて、ちょうど2年目でプロ契約することができ、約10年間ブリヂストンの選手として活動しました。

Cyclingood
選手時代は、国内外の大会で活躍されたそうですね。
田代さん

「ツール・ド・フランスをめざそう!」というのがチームの目標でしたからね。武者修行のためにヨーロッパのクラブチームに入って、1年間で120レースに出場した年もあります。その成果か、全日本選手権優勝やアテネオリンピック出場を果たすことができました。

Cyclingood
華々しいご活躍ですね。
田代さん
ですが、やはり勝負の世界ですから、常にプレッシャーはつきものです。持病の喘息で身体的に苦しい時期も多く、身も心も疲れ果てていきました。
お世話になった方がチームを抜けるタイミングで、自分はもうタイトルも獲ったし充分だと感じ、引退を決めました。正直なところ、2007年の引退時には「もう二度と自転車に乗らない!」と思っていました。
Cyclingood
引退後は自転車から離れたのですか?
田代さん
ブリヂストンの社員として広報活動に携わることになりましたが、自転車に乗りたいと思ったことは一度もなかった。それほど固い決意でした。34歳にしてのサラリーマン1年生だったので、仕事に追われていたことも自転車から離れた理由の一つです。
Cyclingood
再び自転車に気持ちが向いたのは、何かきっかけがあったのでしょうか。
田代さん

広報活動をする傍ら、当時新しくできたブリヂストンのショールーム運営の担当になりました。展示と合わせて初心者向けの試乗会を行っていたところ、お客さんが本当に楽しそうで。初めてスポーツバイクに乗れた喜びやワクワク感。大人が童心にかえってはしゃぐ表情を見ていたら、勝ち負けとは無縁の純粋な自転車の魅力がふとよみがえってきたのです。

Cyclingood
少しずつ自転車の魅力を再認識していかれたのですね。
田代さん
また乗ってもいいかなと思えるようになってきましたね。
そうした気持ちの変化と同時に、自転車を取り巻く課題も見えるようになってきました。自転車って基本的に、ほとんど試乗しないまま買うことが多いんですよ。クルマは免許を取る際に交通ルールを覚え、販売店で試乗もできますが、自転車は交通ルールも知らないまま買う人が圧倒的に多く、試乗できる販売店は稀です。
Cyclingood
確かに、ルールを知らずに乗っている人は多いかもしれません。
田代さん
右ブレーキレバーが前輪で左が後輪という一般的な決まりもわからないまま走ったために危険な思いをしてしまう、そんな人を度々見かけました。特にスポーツバイクは、軽快車よりもスピードが出ますからね。
Cyclingood
せっかく乗ったのに「こわかった」と思って離れてしまうのは、とてももったいないですね。
田代さん

そうですね。ただ「作る・売る」だけでなく、初心者が安心して乗れる環境作りや、乗り方を学べる場の必要性を痛感しました。そこで、2014年に独立して、初心者向けのサイクリングツアーをはじめました。プロになったときも同じなのですが、「まずやってみて、ダメならそのとき考えよう」という気持ちで。実際、それで結構苦労もしたのですが(笑)。

自転車には二度と乗らない。
固かったはずの決意が、自転車を楽しむ人の表情で徐々にほどけ、
また乗りたい気持ちがうずうずと湧き上がってきた田代さん。
後編では、アスリートからサラリーマンを経て、
田代さんの新たなステージがはじまります!

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