荒武さんの「東伊豆町稲取のまちづくり」❶

荒武さんの「東伊豆町稲取のまちづくり」❶

荒武さんの「東伊豆町稲取のまちづくり」❶

2021.07.16 更新

温泉地として知られる東伊豆町稲取。静岡県賀茂郡の伊豆半島東岸に位置する小さな港町で、空き家を改修し、人が集まる拠点をつくりながら地域活性に取り組んでいるのが、合同会社so-anの荒武さん。建築を学んでいた大学院時代、仲間と共に『空き家改修プロジェクト』として訪れたことがきっかけで稲取の活性化に取り組むことになったのだそう。横浜生まれ横浜育ちの荒武さんがなぜ稲取に移り住むことになったのか、このまちの魅力や今後の展望についてお聞きしました。

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荒武優希 
合同会社 so-an 代表社員/NPO法人ローカルデザインネットワーク理事長

芝浦工業大学 大学院の仲間と『空き家改修プロジェクト』を立ち上げ、完成したコミュニティスペース『ダイロクキッチン』を運営するため2016年に東伊豆町地域おこし協力隊として稲取に移住。同年空き家改修のメンバーと共に『NPO法人ローカルデザインネットワーク』を設立。2020年には現役の地域おこし協力隊員と共に『合同会社so-an』を設立し、宿泊施設『湊庵 錆御納戸/so-an sabionand』を運営しながら、使われなくなった空き家問題の解決や観光客・移住者の誘致など、東伊豆町稲取エリアの課題解決に取り組んでいる。

≪前編のお話≫

  1. 大学院時代に立ち上げた『空き家改修プロジェクト』
  2. 失敗から学び、生まれた『ダイロクキッチン』
  3. メンバーの中でただ一人、稲取に移住
  4. 『地域おこし協力隊』として、まちづくりに尽力

「見てほしい景色があって」
朝一番、荒武さんがCyclingood取材班を案内してくださったのは、
稲取の港から10分ほどクルマを走らせた山の中。

鳥のさえずりを聞きながら、前日の雨で少しぬかるんだ山道を登っていくと
突然視界が開け、快晴の空と、朝日が乱反射する海の青いグラデーション。
そこからは、私たちが立っている場所と地続きの伊豆半島東岸部の地形、
そして、小さな湾を囲むように民家が密集する稲取のまち並みが見渡せます。

両手に収まりそうな景色を見つめ、「この景色に一目惚れしたんです」と笑う荒武さんが、
なぜ稲取のまちづくりに携わるようになったのか、ますます興味がわいてきました。

Cyclingood
荒武さんは、もともと伊豆のご出身ではないのですか?
荒武さん

はい。生まれも育ちも横浜のハマっ子で、大学は東京です。稲取のことは大学院に進むまで知りませんでした。

Cyclingood
では、稲取との出合いのきっかけはなんでしょう。
荒武さん

大学院で建築を学んでいたのですが、ずっと、知識を実践に生かせる場がほしいと思っていました。そこで大学院の仲間と、いま日本中で問題になっている空き家を自分たちの手でリノベーションする『空き家改修プロジェクト』を発足。改修するための空き家を探していたところ、私たちの申し出を快諾してくださったのが東伊豆町の職員の方でした。

Cyclingood
空き家を提供してくださったのですか?
荒武さん
ええ。稲取でずっと放置されていた、公民館の離れとして使われていた小屋でした。東京と稲取を何度も行き来して、いままで学んできた知識を全部注ぎ込んで、試行錯誤しながら改修しました。ところが、改修したその小屋は誰にも使っていただけず、いまも空き家のままです。
Cyclingood
せっかく改修したのに、どうして?
荒武さん

私たちは「どう改修するか」ばかり考えて、「どんな方に」「どのように」使ってもらうのかを考えられていませんでした。本来は改修そのものよりも、その後のほうが大事なのに。だから、ただ改修しただけで終わってしまったのです。

ご縁ができた東伊豆町の職員の方が2件目に消防団の倉庫を提供してくださったので、今度こそはと改修前に具体的な活用方法を検討。まちの主要道路に面したその場所が、地域の交流拠点になるようにと考え、1年かけてコミュニティスペース『ダイロクキッチン』として再生しました。完成したのは、ちょうど大学院の卒業を控えた時期です。

Cyclingood
それで卒業後の進路として、『空き家改修プロジェクト』を続けながら
ダイロクキッチンの運営をされることに?
荒武さん
いえ、その頃の私はどちらかと言えば中心メンバーではなく、みんなのオマケのような感じでした。空き家改修と並行して、建築士をめざして就職活動もしていましたし...。ただ、ダイロクキッチンの完成が近づいた頃にメンバーから「地域の方とコミュニケーションを取りながらダイロクキッチンを運営する、現地メンバーが必要ではないか」という意見が出てきたときに、ちょっと気持ちが変わりました。
Cyclingood
どんな心境の変化があったのでしょう?
荒武さん

大学院で学んでいるときや就職活動の最中に、よく思っていたんです。建築の世界には優れた人がたくさんいる。空き家改修のメンバーだって本当に私よりも優秀な人ばかり。私が建築の世界に進む意味はあるだろうか、自分にしかできないことがあるのではないかと。そんな中で稲取のことを考えたときに、「稲取のまちづくりの担い手は、少なくとも現時点では他にいそうにない。じゃあ、私が!」と思い、稲取に住むことを決めました。

Cyclingood
使命を感じたということでしょうか。
荒武さん

それほど大層なことでもないのですが、もうその頃には、すっかり稲取のことが好きになっていました。「東京からの移動は大変だろう、うちでよければ」と地元の方が私たちを自宅に泊めて、孫のように受け入れてくださっていましたから。それに、路地や漁港のあちこちで、どこからともなく近所の方が集まってきて談笑がはじまったりする、都会では見られないほのぼのした風景も好きでした。

Cyclingood
稲取に残るという選択肢が荒武さんにとっては自然だったということですね。
荒武さん

実は、最初に稲取を訪れたときに直感で「何か縁がある、このまちに関わり続けるような気がする」と感じていたのです。山から見渡したあの景色、湾を囲んで人々の暮らしがぎゅっと詰まっている景色に、一目惚れしたとも言えますね。

ちょうど総務省が推進する『地域おこし協力隊』という制度があり、東伊豆町でも募集があったので、卒業後の3年間は『地域おこし協力隊』として東伊豆町の委託を受けて地域活性に取り組むことになりました。特に決まった仕事が用意されているわけではないので、私はダイロクキッチンを拠点に活動をはじめました。

Cyclingood
具体的には、どのような活動を?
荒武さん

最初はとにかく稲取を知ることと自分を知ってもらうことに注力してまちを駆け回り、寄り合いやイベントに呼ばれればどこでも駆けつけました。ダイロクキッチンではカフェを開いたりイベントを企画したり。什器の組み換えなど自由度を考慮した設計なので、机を組み合わせて高座をつくり、落語会を開いたこともあります。

Cyclingood
自分で仕事をつくっていく必要があるのですね。
荒武さん

そうなんです。さまざまなイベントを行いましたが、3年間の中で最大の取り組みは『雛フェス』でした。稲取では、ハギレでつくった縁起物の人形を赤い糸に下げて雛壇の両脇につるす『雛のつるし飾り』が有名で、毎年1月から3月には『雛のつるし飾りまつり』が開催されます。ダイロクキッチンにいると、お祭り会場に向かう人たちが交通量の多い道を歩いて行く姿が見えたので、その道を歩行者天国にする『雛フェス』を企画しました。

従来の展示がメインのお祭りとは異なり、つるし雛づくりのワークショップやイベントブースの出店など、まちを上げたイベントです。まちの主要道路を規制するのは大変でしたが、近隣のお店を一軒一軒訪ねて協力をお願いしたことで、私たちの活動を知ってもらうきっかけにもなりました。

それに、協力してくれた方々が「文化祭みたいで楽しい」「毎年やってほしい」とおもしろがってくださったこともうれしかったですね。地域を盛り上げるには、観光客の誘致だけでなく、その土地に暮らす人が楽しめる仕組みも大事なのだと学びました。

Cyclingood
地元の人がイキイキしている姿を見せることは、観光客やそこに暮らす子どもたちにとっても重要かもしれませんね。
こうした活動の際、空き家改修のメンバーとはどのような連携を?
荒武さん

メンバーはそれぞれ就職しましたが、NPO法人ローカルデザインネットワークを立ち上げ、現地のことは随時報告して意見をもらい、私が現地スタッフとして実働するカタチです。この連携はいまも継続しています。
『空き家改修プロジェクト』は後輩が引き継ぎ、新たにコワーキングオフィス『EAST DOCK』も誕生しました。

大学院卒業後、稲取に移住し
本格的に地域活性に関わることになった荒武さん。
移住して1年が過ぎた頃、
住んでいるからこそわかる、地域の課題に気付いたそうです。
その気付きと、自転車活用については後編で!

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